タイランドと猫とわたし

外国人でいること 外国人といること

 「外国」に暮らしてしばらくたつわたしです。言葉が通じるときも、通じないときも、両方いろいろ経験してきました。文化が似ているときも、かけはなれているときも、どっちもじっくり感じてきました。「母国」にいたときだって、思えば「外国人」がたくさんいました。中学校では、帰国子女の友達がなかよしさんでした。

 そんなmamemama先生は、ただいま、インター校で働いています。日本人母語話者のクラスでも、日本に住んだことがない子、日本を離れてずいぶんたつ子がいます。でも、「じゃあ、きみは何なんだ?」という話になると、当然「日本人」です。バンコクでずっと暮らしている子もいます。また同じ疑問を投げかけてみるも、やはり答えは「日本人」です。

 そして、同時に、なんとなくでも感じるものは、「でも、わたしたちは、ちょっと変な日本人かも」という雰囲気。わたし自身、日本に帰ったときに、それを感じることも、しばし。わたしぐらいの年輪を重ねると、「じゃけ、なんなんね」となりますが、そこはデリケートな、ぷにゅぷにゅ柔らかい彼ら十代のハートなわけで、ときに怖がり、ときに自慢し、ときに喜び、ときに困り、いろんなことを考えるわけです。

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 とあるクラスでは、社説を読んで、言葉や漢字を増やしたり、議論をしたり、ということをしてます。高校生ぐらいになるとできる、こういうこと。大変ですが、やりがいもあります。

 これまで、国際問題、経済ニュース、などなど、いろいろとりあげてきました。一週間完結の、さっぱりざっくりレッスンです。しかし、うーん、次の社説は、どうかしら、と思っているところ。

 朝青龍騒動―ここから何を学ぼうか 朝日新聞社説 二月九日付

 社説ならではのものがある。ニュースはただ、情報を伝えるもの。社説には、それに加え、記者の意見が練りこまれている。さて、その意見、自分はどうとらえるか、というところ。

 多文化共生を推進しよう
 多文化共生はすばらしい
 外国人とわかりあいたい

 などなど、言葉だけ聞くと、当然の「そりゃ、いいね」と思うようなこと。常識として、「賛成です」とみんなが言うだろうこと。

 でも、実際、自分自身が「外国人」としての経験を積んでいれば積んでいるほど、こういうのって、一筋縄ではいかない。「すばらしいけど、けっこう大変なんだ」とか、「分かってはいるけど、できないものなんだ」とか、自分の中でも葛藤がある。

 さて、みんなはどんなことを口にするだろうか。

 そんなわたしも、タイ人に脱力したり、一緒に手をたたいたりのしっぱなし。日本人に苛立ったり、ほんわかされたりも、しっぱなし。イギリス人をけなしたり、抱きつきたくなったりも、また然り。
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