タイランドと猫とわたし

無我であること

 自分はたいしたことないな。というか、自分は何でもないんだ。自分はだれにとっても、なんでもないんだ。

 と、ふと思うのです。

 "I am nothing." "No, you are something indeed." "Each of us is something." "No, I am not anything."

 という会話を、ひとりぶつぶつと繰り広げて、結論は、アイヌ民俗継承物語を知りたい、というものになりました。

 "You are something." " We all are something." という考え方は、どうも非仏教的なのか。だって、仏教には、「無我」というものがあるもんね。我を忘れて、我はなんともなんでもないものか、欲望を切り離して、世界から身を消して、と、しみじみと境地に至って、はじめて、「見える」。

 それも、とても美しいと心から思う。山にこもって修行だってとてもしたい。

 一方。

 この世界に生を受けたものは、とうもろこしであれ、樫の木であれ、鹿であれ、鮭であれ、熊であれ、人間であれ、それがアイヌであれ、和人であれ、そこには意味があるのだ。というのは、アイヌの考え方(らしい)。(『静かな大地』池澤夏樹著をじっくり時間をかけて読んでいるところ。アイヌ史の小説なのだ。)

 「無我」に絶大な敬意を払いつつ、そんなアイヌの言葉をもっと広く深く知りたいと思っている自分は、やっぱり、"I am something." "I have something." と、心のどこかで見つけたいという欲望があるからか。

 自分を愛することと、欲望を消すこと、自分を消すことは、同居できないのだろうか。うむ。
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