タイランドと猫とわたし

やはり犯罪なのである

 少し前に、「犯罪かどうかの一線」という記事を投稿しましたが、その、続編。

 今日は、とあるところで知り合いになった、法律の専門家さんとご飯を食べました。そのときに、それについて、説明。冷静に、「それは立派な犯罪である」というお墨付きをいただきました。

 問題は、コトが起こったのはThailandで、わたしは日本人で、あっちはカナダ人で、しかも、あっちは今シンガポールに引っ越している、というなんともひち面倒くさいインターナショナルぐらいであること。ですから、法律どーのこーのという手に出ることは、大変に難しく、というか、どうしてよいか分からず、なのです。

 ひとまず、共通の知人で、コトを知っている人に、やつにメッセージを送ってもらおうということに。「うちの視点から考えても、いやー、君は返すべきだと思うよ。返すべきだ。」と言ってもらうん。コトをより冷静に、かつ、客観的にする、という手でございます。

 それでもだめなら… 法?



 彼は、何もしない。何もしないことによって、犯罪になっている。なのに、そのまま、何もしないでいつづけられる、ということが、何ともふがいない。この事態がどう動くか、が、すべて彼次第になっているわけだ。彼がその気でないなら、そのまま、ほうっておくこともできるわけだ。

 何かせざるをえない、という風にはできないのだろうかと思う。通常の心ある人間なら、貸した方から、「お願い、返して」「あれはね、こうこうこうでとっても大切なの」「住所を教えるから、郵送でもいいからして」「洗濯してなくても気にしないから、とにかく、わたしの手にそれを戻して」「今どこにあるの?」「お願いだから捨てたり、変な扱いはしないで、それは前も言ったけど、大切なものなの」…… などなど、切実なメッセージが何度も送られて来たら、それは、「何かせざるをえない」という状況ではないかと、えぇ、通常の心ある、そして常識のある人間なら。しかし、彼はそれらを無視し、さらには、「うるさい」という返事すらできるという、病んだ心の持ち主である。

 そして、これは自身を持って言えるけど、わたしは、一度も理性を失った行動はとってないし、威圧的、感情的なメッセージは送っていない。ひたすら無視をされたあとに、いよいよ電話をかけると、それを切られて、それが何度も続いて、「ひどい!不公平だ!」というメッセージを送る、そういう類いのことはしたことがあるが、それは「理性を失った」に入るのかな。常識的に、ひどいと思うんじゃけども。

 また、その人物の人間性について、何人かから話は聞く。何も驚くことはない。彼は、人を悲しませたり、迷惑をかけたり、そういうことをしても、いつも自分が正しいと思うタイプの人間らしい。そして、人と対立することをいとわない。人を排除することを痛みとしない。多くの人に一致する、彼の人間像。わたしも知っている、人間像。

 「そういう人は、一生分からんよ」とは、思う。百歩譲って分からんでもいいとして、単純に、わたしは、貸したものを自分の手に戻したい。そして、もしそのものがもうこの世にないのなら、または、もうどこにあるやら追跡ができない状況なら、真摯に謝ってほしい。

 これは、世の中の犯罪における、被害者と加害者の関係なのかな。加害者のほうが全てを知っていて、それを言うかどうかは、その人次第とか。人には誰しも平等に、プライバシーとか人権とかそういうものがあって、被害者のほうが、そういうのを破られたから、加害者が先に破ったから、事態が「犯罪」になっているわけなのに、加害者のほうのそれらは、きちんと守られるんだな。

 感情論に走ってはいけないと分かっていても、結局、人は、心なのだ。傷ついた。傷つけられた。なのに、何もやりかえせない。ということ。
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