タイランドと猫とわたし

来てね 行く行く

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 本音と建て前、というものがあります。

 使い分けがわたしはきちんとできない。
 いつも、本音しか言えない。
 うまくできないと、だめ?

 きのうから、ずーっと考えています。
 (だから記事が長くなってしまった。)
 どう思いますか?


A「遊びに来てね」
B「うん。行く行く。」

 という会話は、特に引っ越しの際にはよくある。わたしの場合、Aの立場になることが、結構あって、そして、わたしはこのAのような発話をする。本音で。

 すると、Bのほうの返事が、建前、というか、社交辞令的なものであったりして、で、わたしがそれに気がつくのが、「いつまでたっても来ないし、来ないという連絡すらない」という状態になって、ときには、「いつ来るの?」とメールまで送ったりして、「実は、そもそも来るつもりでなかった」ということが分かって・・・というタイミングだったりする。

 そして、その度に、わたしはそれ相応のショックを受ける。

 そーゆー話を、お店で食事しながらしていると、ある人が、「社交辞令かどうか見分けるコツ」というのを教えてくれた。具体的な話に進んだら、それは、社交辞令などではなく、本音である、と。つまり、「何月が暇?」とか、「メールアドレスは同じ?」とか、そういう話になる、ということ。ふむ。たしかに、これはひとつのアイデアだなー、と納得。

 でもね、どうなんじゃろう、これって、やっぱりショックなものはショックじゃないのか?だって、自分が本音で誘ったのに、相手の返答で、社交辞令(=つまり来る気はない)ということが分かってしまったら、それはそれで、それ相当のショックを受けるんじゃないかな?

 だから、やっぱり、この会話は、そもそも、AもBも、どちらも「この会話は社交辞令である」と了解していてこそ、平和に穏和に成り立つものなんじゃないかな?

 「そんな会話、何なん!」「来てもらう気がないなら、最初っから誘うな!」と、わたしはA,Bに対して思うのだけれど、ま、そんなことを、あーだこーだ言っていると、言われた。

 外国にかぶれるな 日本人だろう

 ちょっと、びくっとしたし、こわかったし、そして、腹も立った。「日本人」は「日本人らしい」のがいいことなのかな。「日本人らしく」ない日本人は、矯正しないといけないのかな。でも、もしかして「わたし帰国子女なんです」って言ったら許されるのかな。大人になってから、日本以外のコミュニケーションをたくさん知って、そのなかから自分に合ったもの、自分が馴染めるものに沿っていくことは、「日本人らしく」なくて、つまり、美しくないことなのかな。それとも、日本という土地にいるからという理由なのかな。

 いろいろ考えたけど、結局、よくわからない。

 こういう手のことというのは、何が正しいとか、何が間違っているとか、というのは、どうやったって個々人のものさしでしか決めようがない。だから、答えだって見つかるはずがない。だから、自分が少しでもハッピーでいられて、ショックが少なくあれるように、これからはやっていこうと思います。

 結論。わたしは、本音しか言わない。でも、建前に出会ったときも、理性で納得して、腹をたてたり悲しんだりしないように、がんばる。その人は悪くないし、わたしも間違っていなかった、と。

 本音しか言わないってことは、じゃ、「遊びに来てね」を少数の人にしか言わないってことか。というと、わたしの場合は違う。わたしは、ウチソトの垣根がもともとないので、

 航空券をプレゼントしてでも来てほしい人、から
 泊まってもらって一緒に遊びたい人、
 お茶でもしようよって人、まで

 さまざまなランクで、「来てね」と言う。来て、会えて、嬉しい人なら、誰でも「来てね」。だって、会えたら楽しいかな、って思うんじゃもん。

 これって、「誰にでも言うなんて、この人軽薄だなー」とか思われるのかな???
 んー、悪気はないのだけれど・・・。

 今回の引っ越しにあたって、ひとつ、この手のことを習得しないとなーと思います。む・ず・か・し・い、けど。
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