タイランドと猫とわたし

カテゴリ:いろんなわたし( 56 )

Life keeps rolling on

いつものことながら、旅に行っていました。

旅のとちゅうで、友だちと穏やかに、でも真剣に話したこと。

何も考えることなく、生きることはできる。従ったり、流されたり、引っ張られたり。
そして、周りに同じような人たちを見て、安心する。
できる。もしかしたら、簡単なことなのかも。

私たちは、二人とも、それはできないと思った。したくないと思った。
立ち止まって、問う。自分に問う。世界に問う。心を聴く。
これでいいのか?これが自分がしたいことなのか?これが正しいことなのか?
そして、真剣に考える。得られるであろうことと、捨てなければ、諦めなければならないであろうこと。
苦労するであろうこと、でも、同時にかけがえのないものになるかもしれないこと。

意志を持って、生きる。眼で見て、足を動かして、進む。

そうしたら、自分に説明ができる世界にいられる。
なぜ、自分がここにいるのか、隠せないし、責任がある。
人生は、もっと、カラフルに、賑やかになる。

わたしも、その彼も、そんな人生に生きている。
くたびれても、後悔しない。波がかかってきて、もまれても、見て見ぬふりはしない。
傷ついたら、あざも抱えて次に行く。そのうち、あざは自分の大切な一部になる。
素敵なことがきたら、とんでもない笑顔で、心の底から迎える。
そのとき、どうして、自分がそんなに嬉しいのか、笑顔になれるのか、自分ははっきりと分かる。
いつも、目の前のものを、視界に入れて見ていると、それができる。
「うれしい」「ありがとう」「愛している」と、まっすぐな言葉にできることは、とても美しい。

これは、けっこう難しいのかも、な。
自分も、上手くできないことが多いもんね。
= = =

と、ふと、哲学的にもなってしまう、その理由。
ここをすっかりほっぽり出していて、久しぶりに戻って来て、何があっただろうと考えていたら、holisticになって、そしたら、二人で話したことが、頭に出て来た。
結局、そういうことなんよね、と、思った。

いろんなことがあったん
[PR]

風とおしよく すこやかに

 結果報告。家に戻りました。

 続きは、また。

 どうも、どうにも、どうにもこうにも、疲れていて。

 やれ。


 でも、いいことがあった。
[PR]

2011を振り返る その壱

 あんまり、立ち止まらない。過去を振り返ったりしない。
 そんな質ですが、年末ぐらいは、やってみます。
 さてはて、どんな2011年だったか…。

= = =
 昨年の今頃は、寒い寒い東欧はポーランドにおりました。旅の友が一足早く発って、さて、一人になってどうするかな、と思って。で向かった先が、オシフィエンチム(Oświęcim)、ドイツ語の名をアウシュヴィッツ (Auschwitz) 。それでなくても、マイナス20度以下を記録することも珍しくなかった記録的な極寒、豪雪のこの年の冬。しかし、わたしの心はそれをふと捉え、足は向かったのでした。

f0085850_23354292.jpg


ものすごく、ものすごく、寒かった。それで分かったこと、通じたことが、深くあった。痛かった。でも、行くべきじゃったし、行ってよかったん、ほんま。

 そして、ポーランドのクラクフ(Krakow)で年末Chopinコンサートを聴きまくり、心動かされまくり、はらはらどきどき、した。ときめいた。思い出した。何かが眼を覚ました。で、そのまま、極寒のなか、カウントダウンに揺れる街をそぞろ歩き、ゲストハウスですやすや。

f0085850_23395641.jpg


朝起きると、なんとも爽やかな元旦の青空じゃったよ。

 で、実は、この旅でアコーディオンに出会い、購入してしまう。ここから、バンド活動が動くのだな。これまでピアニカじゃったけど、アコーディオンに変えたん。

 この寒い寒い東欧旅行で持って帰ってきたものは、アコーディオンのほかにもあり。それは、なんともしぶとい風邪。これがもう、2ヶ月ぐらいだらだらと続いて、最後にはひどい腰痛に。そして行ったのは、人生初の、「針治療」。

f0085850_2344192.jpg


風邪とか、腰が、とか、何も言わずに診察してもらって、肩と両足に針を刺される。で、これが大当たり!翌日にはすっきり治ってました。ビバ、東方医学!

 あ、そうそう。これよりちょっと前に、バンコクの某フリーペーパーから、「ヘアモデルやってみません?」という連絡があったん。

f0085850_2347316.jpg


背中の真ん中以上ぐらいまであった髪がばっさり切られ、前髪もどっしり作られた。(結果的に、これ、あとで大後悔。。。)

 んんー、こう思うと、この辺り、いろいろ「ついてなかった」というか、どんくさくて、落ち着いとらんかったような感じがするなー。

 気分をかえて、2月のmid-term休みには、北部のChiang Daoに、Shambala祭りに遊びに行くのもかねて、出かけました。気の合う同僚と出かけて、温泉に浸かったり、自転車で遠出したり。素敵な音をつくる人たちにも、会えた時期でした。

 そして、3/11のあのとき、あの日。バンコクで顔なじみのバーでバンド演奏でした。日本人たちは、もう、なんだか頭がどんがらがっしゃんじゃったね。自分も、来てきてくれた友だちも。もう、何話してもどんがらがっしゃんじゃった。

 で、仲間たちでばたばたとチャリティーイベントをしたり、職場では生徒たちとあれやこれやと活動をして。あー、このころ、頭も体もばったばたで、はちゃめちゃじゃったわー。

f0085850_23522914.jpg


この頃はまだ、バンドもうまくまわって活動中じゃったんよね。『満月の夕』も、フルート一本とうちの歌だけで何度かやりました。Shambalaで出会った、音でつながった人も、いっしょにやってくれたり。

 4月は、Laosに行きました。で、ここで、はっちゃけたら、カメラを水没させてしまった。。。

 あー、ここから、写真がなくなるよーーーー。

 5,6月あたりじゃったかね。前住んどった家が空き家になった、って元同居人から聞いたん。一年、なかなかいい家に、おまめとのんびり暮らした。平和じゃったけど、んー、もうちょっと「動き」があってもいいのかな、とも思った。というか、なんか、頭の理屈が具体的に生まれる前に、心は「あそこに戻って、おもろい人たちとどたばた共同生活をするぞ」という絵を描いたような気がする。あの家は、一人で住もうとは思わん家じゃったん。ちょうど、一緒に住めそうな人がおった。そして、その人は一緒に住みたいと思える人じゃった、お互い。

 引っ越すと、運気が変わるっていうのは、今振り返ると、しみじみ分かるな。ただ単に生活のパターンを変える、というだけではなく。いろんなものが、がっしゃーんとひっくり返して、ありゃりゃーってなって、でも、おひょひょー、と進んでいって。

f0085850_064472.jpg


おんぼろの家に、どたばたと、ひとりふたりと入居。庭ははげ坊主。takoomeさんが庭の木を大量にくれる。きゃっ。ひとまず、どしどし、植える。

f0085850_074646.jpg


おまめも昔のすみかを思い出しつつ、庭歩き。

 あ、そうそう。takoomeさんからは、庭の木だけでなく、カメラも安く譲っていただいたのです。どうしてカメラが必要じゃったかって?

 へへ。夏休みに旅行に行ったんよ。すっごい旅じゃった。

 それは、その弐にしよっかな。

= = =
 ひとまず、2011年の半分を写真で振り返ると、なんというかなー。「大きいことは起こったようで起こらんかったけど、どうも、自分の立ち位置をつまずきながらごそごそ探しよった」ような、そんな感じがするかな。引っ越しは、確かに大きいことかもしれん。でも、自分としては、そんなに劇的なことではなく、「そうするのが自然じゃった」という感じ。おまめはどうか分からんけどね。

 mamemama、これは広島で書いています。Bangkokに残してきたおまめ、元気かね。カリカリ、ちゃんともらいよるよね?
[PR]
by mamemama_blog | 2011-12-31 00:17 | 未分類

疲れの限界

 8月から始まった新学年は、どうも忙しい。昨年度に比べて担当クラスが増えたし、授業以外もなんだかんだと仕事が多いです。授業以外の用事が忙しくなってくると、生徒たちとくだらんことを言っている授業のほうが息抜きになったりなんかして。

 放課後、ふと同僚の先生に会うと、「mame、なーんかお疲れ顔ね」と言われることも、しばしば。なーんか、そんなのって、悲しい!

 疲れをみせない顔になりたいなーあ。というか、疲れないぐらいの仕事量で生きていきたい…。

 「さあ、疲れた、疲れた。ここで足を休めよう。ひと休み、ひと休み。」

 と思って足を休めるのって、どういう思考なんじゃろう、と思う。

 そのあとにくるもろもろの作業を考えて、「今休んどかんといけん。あとがしんどい。」とか、そういうのよね、だいたい。ほんまに、ほーんまにもう無理ってなって、足が動かんようなるのって、相当よね。

 と、じゃけーなんなん?ということを思うのも、次なるrunがもうすぐ待っているから。今週の日曜日にBangkok Post Mini Marathon 2011があって、それに出ようと思っています。さて、5kにするか。10kにするか。

 このところ、10kで落ち着いています。1時間前後ぐらいののんびりペースじゃけど、でも、止まることなくは知り続けられる。でもなー、しんどいのって、今のうちにどうなん?と思ってみたり。。。


 しかし、ゴールしたときのあの爽やかさは、やっぱり10kじゃないと感じられんじゃろうな。うむ。

 どーしよーかねー。

f0085850_012620.jpg

15th International Mongolian Marathonなるものに、参加したのです。走ったところは、こういうところ。草原まっただなか。陰なし。ただひたすら、草。うーん。草ランは、ちとしんどかったよ。
[PR]

すごーい

すごーい

 というのは、日本で暮らす外国人が覚えるなかでも、かなり最初のほうに入るのではないでしょうか。日本人、とくに女の人、大好きよね。口に手をあてながら、「すごーい」。

 今日、これを言われたわたしは、素で、「どこがですか。どこについてすごいって思ったんですか。」と言ってしまいました。いけん、いけん。「いえ、いえ」と、顔の前で手を左右に振りながら、顔は隠しつつ、申し訳なさそうな笑顔で、という正しいリアクションができませんでした。

 その、誤りのリアクションの結果、話相手はすっかりどきまぎしていました。

 でも、すごーいのあと、「え、なんか」ぐらいで、説明が続かないっていうことは、よく分からないけど、なんとなく驚いて、それを言葉にしたっていうことになるんじゃないかね。そう、驚きなのだ。

 インターで働いている、と言ったり、日本にしばらくいない、と言ったり、身の回りに日本人があんまりいない、と言ったり、そんなことを言っていると、この「すごーい」がやってくる。

 猫飼ってるんです、には来ないんだな。なんでだ?

 働いてお金をもらって生活をたてているのは、みんなしていること。タイ国外から猫を連れてきたことのほうが、よっぽどわたしとしては「すごーい」になるんじゃないかと思うんじゃけどね。
 
 「すごーい」をよく使う人。どうして「すごい」のか、説明する気はないんですか?
[PR]

うさぎ年のはじめに思うこと

 今年の年明けは、ポーランドはKrakow(クラクフ、と読む)で迎えました。雪が吹きすさぶ極寒でしたが、ホットワインで命をつなぎつつ、花火もジモピーと楽しみました。大晦日前日には、アウシュビッツに行く、という何ともディープな年の瀬だったのですが、こんなのも、ありでしょう。旅については、写真とともに、いつか書きます。

= = =
  旅から帰って来て、こっちの友だちに会って、やーやーやーと再会を喜んで(といっても会っていなかったのは3週間ぐらい)、そのホットワインを再現したものを味わったり、写真を見せたりして、そして、なんとなく、ずいぶん語ったのです。

 「今年はどんなふうになろうか」というのがわたしたちのトピック。こういうのを真剣に、でも緩やかに、そして真摯に、温かく話し合える人、そして機会というのは、そうそう出会うことができません。ずいぶん話した。そして、時差ボケは治らず。。。

= = =
(以下、自分自身のために、書き留めておきます。長い。読みたいかたは、どうぞ。)

何を話したか
[PR]

やっぱり浮き沈む

 どうもこのごろ、「うぎゃー」と、堂々と文句を言ったり、愚痴を言ったりしているような気がする。中にもんもんと溜めるよりはいいのかもしれないけれど、しかし、どうもネガティブな空気が漂っているのは事実。

 原因。蚊が多い。

 蚊とは、堂々と文句を言える相手であるのです。あ、蚊に対して、ではなく、蚊についての文句、を誰かに、という意味で。

 家の網戸がひとつ壊れていて、ちょうどその網戸がある方向のお隣さんが、池のあるお庭をお持ちで。この気候のこの地域で、そんなぼうふらのゆりかごを作らないでほしいものです。大家さんは誰かを派遣して修理した様子。しかし、網戸枠だけ直して、肝心の網戸ははまっていない。ぱっかぱかです。いっしょじゃんか。ということで、蚊が多い。

 蚊を退治する電気ラケットをぴしぴし振り回す、このごろ。みずからの体をおとりにしてまで、根こそぎやっつけてやるぞ!という意気込みもむなしく、蚊は、いなくならない(そりゃそうだ、入り口がぱっかぱかなのだから)。

 電気ぴしぴしラケットは、蚊をとらえた瞬間鋭い音がして、これは、おまめさんの大変嫌とするところであります。わたしがラケットを持つと、おまめさん、鏡と壁の隙間、とか、冷蔵庫と壁の隙間、とか思いも寄らないところに隠れる。とても気の毒。

 蚊とラケットのぴしぴし対決ストレスにはじまって、じんましん(夜、噛まれてしまうのが発端)、寝不足(夜起きてしまうのが発端)、おまめが一緒に寝てくれない(ラケットが枕元にあるから)、友だちを家に呼ぶのをためらう(そりゃ、そうさ)、など、こう考えると、ここ最近、蚊のやつらに全部持って行かれている感じだ。

 そんなことは、させん。

 蚊がよりつかないような体臭を発する人になりたいです。
[PR]

ねじの掛け違い

 このところ、とても忙しくて。

f0085850_1694394.jpg


 というのを、一体何度言い訳にしただろう、この数週間。数々の失態、物忘れ、遅刻、呼ばれても気がつかない、電話に出ない、メールの返事をしない、などなど。おまめさんからも、最近遊んでくれない、と苦情が出ました。
= = =

だって…
[PR]

慣れるとねー

 「別にデートをしようと言ってるんじゃない。ただその辺散歩して、一緒にご飯食べて、家でだらだらしようって言ってるだけなのにさ」

と言った彼女は、最近できた彼氏に惚れ込んでいて、でも彼氏のほうは忙しくて、いつも「待つ側」になる彼女はだんだん何かが溜まってきて、「毎週月曜日に今週の予定をシェアするというroutineにすればいいんだと思うんだ」と言った。そうすれば、いつ連絡が来るだろうかと待ったり、もしかしたら連絡があるかもしれないからと空けておいた、けど連絡がなくてがっかりアンド自己嫌悪、ということが起こらなくなる、とな。

 「えー、うちじゃったら、それ言われたらびっくりすると思う」

と言って、彼女をしょげさせてしまいました。あー、いけん、いけん。ちょい、今のなし。

 「歩み寄るためには、お互いのニーズをシェアしないとねーぇ」なんて当たり障りのないことを言っても、さて時は遅かったのか。

 一方。

 いつも、休みをどう過ごすとか、そういう何かを決めて、で、予約とったり予定をたてたりするの、そういうのが苦手な人がいて。だから、周りに「よーし、行くぞ、誰か行かんかね」という大声がたつと、しゅしゅしゅっとついて行くわけで。そうすると、「あちゃー、一緒に行くことになっちまったぜい」というメンバーが時に混ざっていることもあり、しかし、当人は、自分でどうこうするということが、そもそも頭にないから、ま、いいか、となる。往々にして「あちゃー」と思われたほうも、「あちゃー」と思っているもので、そちらは、「お前、自分でなんとかしろ」とは言えない。その人が旅や自由時間をなんとかすることが苦手なのを知っているから。

で、それらが何なのか、一体何なんだ、というと。

 人ってそうそうは変われないのかしらんねー、ということ。

 自分はこうだ、と思っていること(例「恋人とは極力時間を作って会おうとするものである」)は、すっかり自分のペースになっていて、そうしたいんだよねー。そして、自分がしなれないこと(例「自分が何をするか事前に知り、恋人に伝える(そしてそれがそう進むようにがんばる(ことが期待されている(からがんばる)))」)だと、「言うだけなんだから、いいじゃん」と言われても、そうは簡単ではないのだな。

 わたしは、今のところ恋人と呼ぶ人はいなくて、よって、がしがし自分で予定をたてて満喫して、何にも決めないで行き当たりばったりな幸福に胸を踊らせたりしているけれども、それが崩されると、やっぱりどっかこそばいくなるんじゃろうなー。スケジュールをたてて、それを消化していくパターンは仕事で十分なので、自分の私生活ではあんまりしたくない。と思うけど、それって、面倒な人のパターンなんだろうか。

 とかとか、思った。

 と、その彼女に言ったら、それって男のパターンだ、と言われた。

 がーん。そんなオチって。。。
[PR]

8月4日 今日の日記

 今日の日記。

 とても忙しい一日でした。体も、頭も、そして、心も。

 昼前から数名で集まり、題して、「ほんであんたーITどー使いよる?の会」という、自主的教師IT勉強会。昨年に引き続き第二回。コンピュータを前に5名があれでこれでと話す。学ぶ。試す。失敗する。やり直す。共有する。議論する。発展させる。学ぶ。学ぶ。

 気がつけば7時間近く、ひたすら走っていた。

 脱線や、余分な話や、そういうのも多かったけど、それもひっくるめて、素敵な会でした。日本に住んでいないのに、日本に帰ってきて、そんな素敵なことが気軽にできる人たちがいてくれて、自分は幸運だと思いました。

 その勉強会のあいだ、ITについての会なので、もちろんコンピュータはネットに繋げて。自分の受信箱に、とある人物からメールが届いていることを見つける。わたしが、こんなにも人はひどくなれるのか、と驚いている、最近、わたしを怒らせている、あのカナダ人から。勉強会の間、心の平静を保つためにも、開かず。目にすら触れないように、見えないboxへ移動させる。

 夜。横川の甑で、三線のお友達さんたちに会う。疲れた頭は、1秒でふっとんだ。魔法。「mameちゃんは仲間よ」と言ってもらえたけど、「友だち」「仲間」「先輩」んー、どの言葉がふさわしいのか、よく分からない。それらを全部足して、1000倍して、砂糖漬けにして、上に猫型のクッキーをのっけたような、そんな感じ。

 琉笛の本をいただいた。貴重な工工四をいただいた。いろんなものをいただいた。うれしかった。でも、一番うれしかったのは、その場、空気、言葉全部。目と目を合わせて、ときにはにこやかに、ときには真剣に、本当に話せるということ。

 朝からやっていた勉強会でも思ったことを、また強く思う。自分は日本に住んでいないのに、そして、めったに帰らないのに、人はどうしてこんなにも親切に、優しく接してくれて、そして受け入れてくれるんだろう。心を開いてくれて、心を聞いてくれて、言葉は耳から心に届いて。あったまった。これで一年大丈夫。バンコクに戻っても、大丈夫。

 帰宅して、今。見えないboxに移動させていたメールを読む。想像の範囲であったが、やはり、そういう人だったか、という文章が。非常に傷つく。逆に、傷つく自分であって、よかったと思う。自分の心には血が通っている。どうしようかと思う。どうしたらいいのか分からない。どうもすべきでないのかもしれない、ないのだろう。負けるが勝ちとは、このことか。法話が聞きたい感じ。ほんまの、ほんまに。

 今日の、心あたたまる時間がもしなかったら、わたしは、自分が今どうなっていたか分からない。人は、むずかしい。でも、きらきらと素晴らしい人たちは、必ずいる。自分もその人たちを見習って、そうなりたいと思う。

 今日は、いい1日でした、とても。終わり。
[PR]