タイランドと猫とわたし

カテゴリ:ぐるぐるなわたし( 67 )

犯罪かどうかの一線

 「やる」と言ったことをやらない、とか。「返す」と言ったものを返さない、とか。

 それって、犯罪になるのかな、と少し思う。というのも、そういう人がいて、今、嫌な気分になっているから。お気に入りのシャツを返してくれない。大の大人なのに、みっともないと思う。

 「やる」とか「返す」というのは、メールの文面で残っているし、これは、裁判にできるんだろうか。「持っている」という文面もあったし、「とか言いながら実はもう捨てた」ということが起こっていたら、これは嘘をついたことになるんよね。

 しかも、「返してよ」というメールを送ると、「ハラスメントをするな」という返事まで帰ってきて、ますますその人物は大人げなくて、レベルが低くて、大変に申し訳なく、気の毒に思う。

 自分の大切な、気に入っていたものがその人の手にある、もしくは、その人の手によってどこかもう分からないようなところに放り投げられたとしたら、とっても悲しい、のである。かわいそうな、わたしの大切なシャツ。

= = =
 というようなことを思うのも、今、母と姉と、『チャンファ・ホンリョン』という韓流ドラマにはまっているから。ホンリョンが、裁判を起こすわけ。
= = =

 シャツ、返してほしいー。どうやったら返してもらえるんじゃろう。
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MBKにて突然のパンチ

 夕方から、Siamに出かけました。ピアノをレンタルしているところに行って、引っ越しの打ち合わせをすること。それから、MBKに行って、お土産を買い求めること、などが目的。

 暑い暑い毎日。

 ピアノ屋の用事が終わって、MBKに行って、とあるブースで見本を見ながらWiiのソフトとかCDとかを注文して、それが届くまで待っているように言われて(バンコクなど東南アジアの円盤事情をご存知の方なら分かる、このシステム)、それでMBKの中をうろうろして…。

 そーしたら、突然パンチが来たんよねー。

 よく分からんけど、ものすごく悲しくなりました。寂しいと悲しいが混ざった感じ。それは、もう、なみなみならぬレベルのもので。超込み込みのMBKにあって、エスカレータを昇り降りしながら、真剣に、泣きました。と言っても、なんというか、涙にならない感じのもので、それでも、ずんどこに、パンチが来たのでした。

 あー、大変。あの子に、あの人に電話をして、一緒にいてもらおうか。あー。あー。

 真剣に携帯電話を握りしめた。

 けど、結局、誰にも電話をせず。

 あー、何だったんじゃろ、と思う。今のピアノ(大のお気に入り)を手放してもっと小さいのにしないと玄関を通らない、と言われたこと?MBKの人ごみ?暑いけー?どっかのチームがワールドカップでまさに負けよる瞬間だったけーとか?

 分からん、分からん。

 大きなパンチじゃったわ。
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微笑みがなくなったタイランド

 教育省からのお達しで、今週一週間、学校は休校になりました。

 バンコクは大変なことになっています。

 わたしは無事だし、おまめも無事だし、生徒たちも無事だけど、毎日悲しいニュースばかりを聞いて、どんどん苦しくなっていきます。
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無我であること

 自分はたいしたことないな。というか、自分は何でもないんだ。自分はだれにとっても、なんでもないんだ。

 と、ふと思うのです。

 "I am nothing." "No, you are something indeed." "Each of us is something." "No, I am not anything."

 という会話を、ひとりぶつぶつと繰り広げて、結論は、アイヌ民俗継承物語を知りたい、というものになりました。

 "You are something." " We all are something." という考え方は、どうも非仏教的なのか。だって、仏教には、「無我」というものがあるもんね。我を忘れて、我はなんともなんでもないものか、欲望を切り離して、世界から身を消して、と、しみじみと境地に至って、はじめて、「見える」。

 それも、とても美しいと心から思う。山にこもって修行だってとてもしたい。

 一方。

 この世界に生を受けたものは、とうもろこしであれ、樫の木であれ、鹿であれ、鮭であれ、熊であれ、人間であれ、それがアイヌであれ、和人であれ、そこには意味があるのだ。というのは、アイヌの考え方(らしい)。(『静かな大地』池澤夏樹著をじっくり時間をかけて読んでいるところ。アイヌ史の小説なのだ。)

 「無我」に絶大な敬意を払いつつ、そんなアイヌの言葉をもっと広く深く知りたいと思っている自分は、やっぱり、"I am something." "I have something." と、心のどこかで見つけたいという欲望があるからか。

 自分を愛することと、欲望を消すこと、自分を消すことは、同居できないのだろうか。うむ。
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映画ずたぼろ続き

 街中に引っ越して何がいいって、それは、映画館が近いこと。気が向いたら、ふらりっと自転車にまたがって、さらりっとBTSの改札をくぐって、30分で着く。

 時間を潰したいとき、なんだか「もーね、ほら、考えないよーにしよーね」と、自分に言い聞かせるとき、映画の2時間というのは便利なもので。

 しかし、2010年最初に観た映画は、はやくも、今年ワースト1になること間違いなしでした。ごめん、キュウイちゃんたち。だって、双子、似てない。そこから、全てが始まった気がする。。。

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 そして、2010年第二の映画は、なんとしたことか、私としたことが、ワースト2になるであろうものを観てしまった。ごめん、アメリカンなみんな。いつものことながら、素直に共感できないのです、わたしの人生はそんなんじゃないよってば、と一人つっこみをしてしまう(自分に悲しくなったりなんか、しない)。

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 途中で帰ろうかと、あれほど本気で考えた映画はなかった。上映中にあんなにたくさんのSMSを消してすっきりしたことはなかった。

 なんだよー、ぷんぷん、と思っていたことがすっとんでしまった、というか、矛先が変わってしまった、ので、その点では、よかったのだけれどもね。

 あ、なんでそれらを選んだのかというと:
キュウイちゃん:他のほんまは観たかった映画と、ポスターを見間違えた(ジョージ・クルーニーを間違えるなんて、ばかばかばか!)
アメリカンなみんな:今度こそジョージを、と思って、事前に時間も調べて映画館に行ったのに、そこはタイランドの常で、「updateしてないし、そのスケジュールうそです」と平気な顔でカウンターのおねえちゃんに言われて、その時間はあまりにも遅すぎて、でも引き下がれなくなって、近い時間帯からチケットを買ってしまった。

 Poor me.
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タイのいやなところ もっと

 バイタクに乗って、行き先を告げる。「F5」 がうちの通り。「エフ・ハー」と言う。「エフ?」と聞き返されるので、また「エフ」と言う。まだ「エフ?」と聞くので、「エー、ビー、スィー、ディー、イー、エーーーーフ」と言う。で、「ソイ・アライ?」と言われるので、また「エフ・ハーーーーー」と言う。

 分かったのかどうなんだか分からないけど、バイタクは発進する。こちらでは、返事がないということは、「分かった」ということだと、これまでの経験で理解している。これも、タイのきらいなところ。分かったなら、分かったと言うのが礼儀ではないか?こちらは質問に答えたのだぞ。

 バイタク、「F」通りに入る。スピードが遅くなる。とても、とても、遅くなる。止まるんじゃないか、というぐらい遅くなる。でも、にーちゃんは、何も言わない。「F通り」は、1番から5番まで。だから、うちの「F5」が最後。バイクは、やっと「F5」に到着。。。。。。。通り過ぎたっ!

 通り過ぎて、「F通り」が終わってから言う。「エフ・アライ?」

 タイ人の問題解決能力。

 もういいっ!降りる。バイタクを誘導する。「F5」のサインのところに連れて行く。それを指差し、「エフ・アライ?」と聞く。「エフ・ファイ(タイ人の英語は、最後の子音がない。ときには母音までない)」と言い出す。なんだか腹が立ってきたので、英語の発音を矯正する。英語を使うのか、タイ語を使うのか、どっちなのか、と問いただす。「自分は英語はよく分からん」と言う。じゃけ、「ハー」って言ったじゃんかっ!!!うちはタイ語を言いよるんよねっ!!!あー、そうね、発音が悪いんね。じゃー、これ何て言うんね。言ってみんさいや。

 バイタク:「エフ・ファイ。。。」

 なんで、このごにおよんで英語、しかも発音めちゃくちゃなやつなんねっっっっっっ!

 「うちはタイ語で言ったじゃんか。『エフ・ハー』って言ったじゃんか。なんでサインを見んのんね。ハー、よ。ハーハー!!!

 バイタクは、去って行きました。論議から、逃げます。

 腹立つ。
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タイのいやなところ

 バンコクに移り住んで、2年と半年。そして、まだ仕事をすることになっているので、まだまだ住むでしょう。しかし、あれまー、mamemamaは、さぞかし、バンコクが好きなんだろう、と思っている人がいたら、それは間違いです。便利だから、住んでいるのであって、バンコクに愛は、実はそんなに感じていない。あーーー、はっきり言ってしまった。でも、だって、そうなんじゃもん。

 そして、最近、つくづくそれを感じるのです。タイ人に、腹が立つ。

 引っ越しをするにあたって、あちらこちらに連絡をしたり、お願いをしたり、質問をしたり、という作業を、たくさんしています。タイ語が、ほとんどできないので、そして、日本語はたいてい通じないので、全部、英語です。英語なら、なんとか伝わる可能性が、高い。

 そりゃー、タイ語ができれば、素晴らしいだろうよ。でも、タイ語ができないと受け付けないよ、という態度は、どうかと思うんだな。

 タイ人の多くがとる、「受け付けない」というのは、「拒否する」という、積極的な行動ではありません。「無視する」という、消極的な行動です。ものすごく、無視します。ものすごいです。無視のしようが。きれいな無視さです。自分がこの世から消えたのかと思うほどです。

 電話口でたらい回しにされたあと、電話の受話器がほったらかしにされます。受付で、何十分でも待ちぼうけをくらいます。何度も書け直したり、「すみませーん(最初はタイ語で言うけど、こっちも腹がたってきてその後英語になる)」とそこにいる人に声をかけたり。

 タイ人は、衝突を嫌う、というのはよく耳にすること。にこりと笑って無視をする。こちらがなんとかして、「そうはさせまい」とあれやこれややっても、だめ。衝突が嫌いなんじゃもんね。無視している限り、衝突は怒りません。そんな態度に憤慨している外国人は、放っておけばよろしい、ということ。

 わたしはとても腹がたつのだ。自分がタイ語ができないのは、全くもって申し訳ないとは、たしかに思う。しかし、そんなに、タイ語ができる人とできない人を差別するのか。英語ができる人を探してくれたっていいじゃないかっ。そういうサービスのあるカウンターにつないでくれたっていいじゃないかっっ。それでも本当にだめなら、せめて、「ソーリー、ノーイングリーッシュ(タイ語的な発音で)」とかなんとかでも言えばいいじゃないかっ!無視はないだろう。一番腹が立つ。

 先日、近所のモールで、ふと顔エステに行きたくなり、それらしい店に入りました。なんかかんかタイ語で言われたあと、見せられた看板。"Tuesday and Thursday No Foreigner" だって。話をすると、どうやら、ただ英語でできるスタッフがその日には出勤しないから、ということらしい。「「外国人受け付けません」って、よくもはっきり言えるよなー、と思う。

 日本では、日本人は、どうなんじゃろうね。
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iPodが帰ってきた

 ちょっとまえ、知人のお宅におじゃまし、そして、そちらの犬に、体当たりの歓迎を受けました。ポケットに入れていた、かわいい私のiPodちゃん。がちゃん、と音をたてて、コンクリートの地面に落ちる。シリコンカバーをしていたし、「あーららら」「あーたたた」ぐらいに思っていたけれども、それがね、次の日ONにすると、この子、画面に縦縞が入るという、傷を負ってしまったのです。

 近所のモールで事情を説明。だって、夏に、おかーさんに買ってもらったばっかり。まだ保証期間。ちょっとこすいけど、早口英語でまくしたてて、おにーちゃん、おねーちゃんを圧倒して、無事、交換してもらうことに、交渉成立。

 「色、変えたい?」って聞かれた。無料で代えてくれるうえに(地面に落としたんはうちなのに)、色までもっ!「金で」って言ったら、「それは日本とUKだけの限定です」だって。変なところで、ちょっとくやしい。

 今日、帰ってきたよ。新品の子に交換してもらいました。

 もんもんもんもん、として、うつうつうつうつ、としているここ数日。音楽がなかったから、余計だったんかな。たのんだよ、iPodくん。
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やれ

 マレーシアから帰ってきた。つかれた。

 考えることが、頭の中にたくさんあって、大変。

 どーしよ。なんで、こんなにアホなんじゃろ。

 弱音。泣き言。吐きたい放題、吐いてみようか。くっそーーーー。

= = =
 blogってなんなんじゃろう、って、ちょっと思った。コミュニケーションなのか、自己満足なのか。
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Governor asks teachers to work for free

 今年度を最後にしてアメリカに帰る、という同僚先生たちは、何人かいます。「家族が恋しい」「親の具合がよくない」「結婚する♥」などなど、様々な理由で。

 でも、今は、アメリカに帰るには、いいタイミングではないと、みな口を揃えて言います。

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Governor offers to cut own pay, asks teachers to work for free  - First-draft state spending cuts could end school year early

 5日間学校をクローズすること。電気代、印刷代、節約できることはいろいろ。先生にも、「無償で働くように」とまで言ってしまう。

"The only way we're going to get out of this is if everybody contributes," Kulongoski said. As for teachers: "You do it without pay."

 わたしも、タイランドにいて、大なり小なり、いろいろと、アメリカに端を発したこの不況の波を受けています。ひとつの国が、こんなに世界に影響を与えている。

 教育は、不況の波を受ける、最後のところだと信じたいけれど、ほんとうにそんなところまで行っているのか、それとも、政治が、理念と頭の回転を失っているのか。
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