タイランドと猫とわたし

のぞむところだ

 Alcからの紹介で、とある、お芝居をしている人々にピアノを弾かないか、という話がやってきました。芝居の幕のあいだとか、前とか、カーテンコールとか、そういうときに弾いてほしい、と。「そんなに難しくないよーぉ」という言葉を信じて、そして、いいタイミングでうちのピアノがアップグレードされて、わたしはこのところご機嫌で、「ほんなら、しまーーす」と返事をしました。

 これが、すんごいムズカシイ!!!

 ピアノは大好きで、それが伴奏とか、何かと一緒になってやるとなると、ますます好き。人前で何かするのも、よい緊張感で、好き。お芝居なんて、なんとも楽しそう♡と思った自分がおきらくじゃった。連日2時間かそれ以上の真剣勝負。なんせ時間がない。

 もひとつ。

 うちの学校は、PDことProfessional Development、つまり、教師のお勉強とかバージョンアップのためのなんたらとか、そういうのに、今年は力を入れるとのこと。校長Palが宣言。最近ワークショップなどに行ってないし、日々に追われて勉強してないなー、と思っていたわたしは、うれしかった。

 先日、全教師宛に、「こんなんあるよー、だれか参加したい人ー」というメールが届きました。内容は、多文化共生と教育とかなんとか、そーいう感じのこと。で、まー自分の担当クラスは切実に関係あるよなーと思って、「はーい、行きたいでーす」と返事をしてみた。

 数時間後、「mameとJoの2人が行くことになったからね。帰ってきたら、全校の勉強会のときにワークショップリーダーになってひっぱってね。よろぴく☆」と言われた。

聞いてない!!!

 えー、英語じゃんか。うちにさせんでやー、ねー、ぶー。と言ってみたけど、それを言っているのが英語で通じているもんだから、意味がない。「あーっはっは。その英語でよろし!」 支離滅裂な英語で文句を言うべきじゃった。ちっ。
( 外国語での作業の緊張感とか、そういうのは、聞いているほうがいくら、いーよいーよいーからさ、と言っても、意味ないのね。話す本人の問題ね。)

 そんなこんなを、あっちゃっちゃー、と同僚たちとお茶を飲みながら話していたら、コメント。

「mame、なんか、チャレンジが多いね」
「たてつづけにね」
「でも、mame、楽しそうでないようでもないような」
「きのう、早めに帰ってたのって、ピアノの練習しに帰ったんじゃね」
「いーじゃんか、えーことよ、きっと」
「うん、うん」(←このへんは、ヒトごと)

 そのとおり。ありがとう。わたしは、なにかに「いどんで」しまうのだ。「できない」と、すぐには言えない。がんばればできると思えば、「できる」と言っている、今はできなくても。

 そして、毎日、毎晩、ピアノの前で思う。「できん・・・・」

 二週間しかないけど、がんばる!
 ワークショップは、ま、えーわ。あとで考える。ピアノ、弾く。練習する。

 こうやって成長するわけですね。いーもん。がんばるもん。

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モンゴル旅。Ger(ゲル)にお泊まりをした翌日の朝は、水(貴重な、貴重な溜め水。汚れ度は、謎。知りたくない、けどとにかく、いろんなものが浮いたり踊ったりしている水。)で歯磨き。人間は、歯を磨かんといけんけー、大変じゃね。と、周りの山羊とラクダと馬とヤクに、ひそひそ言われる。もぅ。
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自分の年輪を偽れるか

 「モンゴルどうだったー?」と聞かれて、まず答えるのは、「自分のどこかのスイッチがoffになって、別のところがonになったような旅じゃった。でも、何かは分からん。でも、自分の中の中のところが、変わった旅じゃった」。分かりにくい言い方じゃろ。でも、そーなん。ほーじゃったん。

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 いろんなものがなかった。でも、よかった。自分は人間で、周りに暮らす羊とかヤクとかとは違うけど、でも、思ったよりも近いと思った。近くなれると思った。自然があって、自然の辛さがあって、自然の恵みがあって、それと生きることができるはずじゃと思った。モンゴルの人らはしとっちゃった。なんで自分はできんのん?すればえーじゃんか?

= = =
 鼻のふくれたところ(この部分、何て呼ぶっけ?)の左側に、いぼでもなく、ほくろでもなく、でもよくわからない膨らみが数年前からあって、どうもそこは血がよく通っとるみたいで、そこにふと爪が当たって、尋常でない量の血が出て、ぎゃー、ということがときどき起こります。小さいことじゃけど、気にならなくもない。そこで、今日思い切って、切除の相談に街のメディカルサロンに行ってきました。

 ちこちこっと切って、1,000バーツ程度で5分ぐらいでなんとかなると、皮膚科医。あー、ほんじゃーお願いします、と。ちこちこっと切ってもらう。終わって鏡を覗くと、その「膨らみ」がない自分の顔は、なんだか違う感じ。自分にしか分からんのんじゃろうけどね。なんだかすっきりしたような、ちょっと不自然なことをしてしまったような。

 終わって出されたお茶を飲みながら、そのサロンのプロモーションをちらちら読む。ふむふむ、世の中には、どうやら、しみとかしわとかなんとかかんとかの作業がいっぱいあるみたいじゃね。と、サロンの若嬢が、「お肌チェックしてみません?」ときた。無料なのでやってもらうことに。

 1ヶ月のモンゴル旅行で、お肌を酷使したことは十分承知。旅の友Agとも、道中、お互いの顔および体の皮膚の状態のひどさをあーだこーだと話したものです。ときに、めくれかけた皮を剥ぎながら、ときに、何だかもうよー分からんよーなっとる爪の周りをいじくりながら。照りつける太陽の下、陰は1mmもない。よって紫外線。シャワーどころか、基本的に水がない。よって、汚れが付着。旅はバックパックひとつっきりで、そこには寝袋とか山歩き靴とか薬とかを入れたいので、化粧品は優先順位ががくんと落ちて、最小限のものしか持っていない。よって、運良く湖なんかで顔を洗えたとしても、その後の手入れ行き届かず(というか手入れ、ほぼ皆無)。バンコクに戻ってきたときは、同居人たちに、黒くなった黒くなったと言われたわー。

 最新機器で、わたしの肌は現実の元にさらされ、皮膚科医は画面を見ながらなんとも苦渋の顔。カウンセリング開始。Q「どこの日焼け止め使ってますか?」 A「持ってません」 Q「ファンデーションはどこの?」 A「相当のことがないと使いません」 Q「・・・・」 A「???」 驚く皮膚科医。

 わたしは表とかグラフとかを見て、分析するのが、好き。しばし黙ってしまう彼を尻目に、画面の情報をまじまじと「読む」。年齢から行くと、平均よりもずいぶん健康的な肌をしていると、検査の結果出ている様子。「なーんだ、えーじゃんか」と言ったら、皮膚科医に、堂々と釘を刺されてしまいました。

 「早く手を打たなければ!!!」 

 しみを撃退しろと、彼は言う。あれを塗って、これを塗って、これを当てて、あーでこーで。それでしみの進行を防がないといけない、と言う。聞いていると自然に生まれた疑問、「ってことは、せんせー、あれとかこれとかって、終わりはないんですね。ってことは、あれとかこれとかがないと生きられないってこと???」

 「わたしは15歳から使ってます。そして、これからも使い続けます。」と、相当いろんなレーザーを当てたであろう、つるぴかの真っ白のしわ一つない肌を光らせながら、医師は断言。びしっ。(15歳からって、どーよ)

 わたしは、自分が、若いとは言えない年齢であることは知っています。でも、それなりに、自分で吸収できることはしてきて、挫けたり、学んだり、飛んだり、跳ねたりしてきて、その一年一年に悔いはありません。35年、生きてきたからこその自分が、今ここにある。自分の年齢は、胸を張って言える。

 指の爪がとても小さいのはピアノをずっとしとるけー。美しくはないけど、でも、好き。それは自分の誇り。それと同じで、顔のしみだって、自分が生きてきたぶんの年輪じゃないんじゃろうか。20代の肌に若返ることって、どうなんじゃろうか。もんもんと、ぶつぶつと言っていると、医師。「mameさんは、だって、日焼け止めを塗っていない人生を送ってきたからこうなったんです。体の他の部分は、服でカバーされているから、しみがないでしょう?日焼け止めをしていれば、顔だって、そういう皮膚になれたはずなんですよ。しみの治療は不自然なことなんかじゃありません」やはり、びしっ。

 しかし、これはなかなか「そのとーり」な言い方で、医師、ナイスコメント。心は動く。

 モンゴルで、草原の真ん中で、360度周りに人工的なものがなくて。ただ草があって、動物たちがおって。あーここで素っ裸になって寝っ転がりたい、と心から痛いぐらいに思った自分。首都のウランバートルに戻って、便所で水を流し紙を使い、買い物をしたらスーパーでレシートを渡されて、アイスクリームを食べてプラスティックのゴミを出して。あのときの、自分という生き物の、なんと「生きるためには実は必要ないもの」の消費量の多いことを知ったか。

 そんなわたしに、お肌若返り作戦が実行できるんじゃろーか?
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# by mamemama_blog | 2011-08-28 23:14 |

Монголия

 旅に行っていました。で、帰ってきました、バンコクに。

 色んな意味で、一皮も二皮も、いえいえ、もっともっと、何皮も、自分が剥けた旅でした。

 行ったのは、Монголия、アルファベットで書くと、Mongolia。モンゴルです。

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 モンゴルを去ってから、一週間以上経った今でも、まだ、消化しきれていません。

 いろんな旅をしてきたけど、最もものすごい旅のひとつであることは確実。

 モンゴル、小さな私たちを受け入れてくれて、ものすごい時間をくれて、Баярлалаа(Bayarlalaa, Thank you)!!!
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# by mamemama_blog | 2011-08-16 02:17 |

引っ越しどたばたふらふら

 昨日引っ越すことになっとったんじゃけど、延期。貧血でダウン。

 昨日は学校の終業式でしたが、それも行けず。今年で去る先生たちにもグッバイハグができず。

いろいろ無念。

= = =
 今日、引っ越し。全快とはいえないけど、ひとまず引っ越してしまってから、ゆっくり休もう。だって、もう夏休みに突入。朝も遅くまでだらだら寝てていいんじゃけーね。

 もう少し計画的に引っ越しの荷造りをしておけばよかったと後悔。何もかにもをとにかく箱に投げ入れる。おまめはその箱をがじがじかじってめっためたにする。ねこは手伝わん。おまめ、この家出るのん分かっとる?

 写真とりたかったな。この家。この庭。近所の猫たち。
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# by mamemama_blog | 2011-07-02 12:40 | お引っ越し

すごーい

すごーい

 というのは、日本で暮らす外国人が覚えるなかでも、かなり最初のほうに入るのではないでしょうか。日本人、とくに女の人、大好きよね。口に手をあてながら、「すごーい」。

 今日、これを言われたわたしは、素で、「どこがですか。どこについてすごいって思ったんですか。」と言ってしまいました。いけん、いけん。「いえ、いえ」と、顔の前で手を左右に振りながら、顔は隠しつつ、申し訳なさそうな笑顔で、という正しいリアクションができませんでした。

 その、誤りのリアクションの結果、話相手はすっかりどきまぎしていました。

 でも、すごーいのあと、「え、なんか」ぐらいで、説明が続かないっていうことは、よく分からないけど、なんとなく驚いて、それを言葉にしたっていうことになるんじゃないかね。そう、驚きなのだ。

 インターで働いている、と言ったり、日本にしばらくいない、と言ったり、身の回りに日本人があんまりいない、と言ったり、そんなことを言っていると、この「すごーい」がやってくる。

 猫飼ってるんです、には来ないんだな。なんでだ?

 働いてお金をもらって生活をたてているのは、みんなしていること。タイ国外から猫を連れてきたことのほうが、よっぽどわたしとしては「すごーい」になるんじゃないかと思うんじゃけどね。
 
 「すごーい」をよく使う人。どうして「すごい」のか、説明する気はないんですか?
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わたしの小さなお城

 今の家に引っ越したのは約一年前です。前に住んでいた家が、なんだかだんだん居心地が悪くなってきて、そろそろ一人で住んでもいいか、とも思っていて、それでふと見つけた今の家。

 バンコクの都心、エカマイ通りのソイ4。緑の多いソイで、ジョギングをしている人、散歩中の親子など、のどか。大家さんがとびきりかわいいおばちゃんで、しかも日本人びいきときて、話はとんとんと進み。

 一年平和に過ごしました。緑の庭は平和で。庭仕事をする大家さん。犬と遊ぶ同じコンパウンドの人。その犬が追いかけては遊ぶ猫たち。なんとも平和。誰かがケーキを焼いたからと、焼きたておすそ分けしてくれる。庭のベンチに腰掛けて、もぐもぐ。

 家の中も平和。暑い夜はエアコン。前の家はエアコンがゼロで、それが居心地悪かったことの一部でもあったので、これはよかった。シャワーも快調。リビングからも、ふたつのベッドルームからも緑が眺められて。ココナッツの木で遊ぶりすたち、鳥たちに、おまめと一緒になって見入りました。

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これはベッドルーム。窓からは、素敵な庭が見渡せます。前の家ではベッドがなくて、床に直接マットレスをひいて寝ていました。おまめは、ぴょこんっとジャンプできる、このくらいの高さがよかったみたい。

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明るいリビング。わたしの場合、せっかくケーブルテレビがつながっているのに、へぼいテレビしか持ってなくて、NHKもまともに見られなくて、それは…うう。でも、もともとテレビは見ないし。窓からの明るい景色を眺めながら、ソファーでくつろぐ。おまめがタイルの床でごろごろ転がる。やはり平和。

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大家さんお気に入りのソファー。なんでも、窓をぶちやぶってまでしてどうしても二階に入れたかったとか(窓は修復されています)。横のランプもアンティークだとかで、なかなか素敵。おまめはなぜだか、爪とぎをしません。このソファーも被害にあわず。なんでだ?

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二階が住まいなのですが、二階用の入り口があります。一階から上がらずに、ドアを開けると、すぐこの階段、という仕組み。おもしろい。大家さんが入れ込んでいる(また)アンティークの仏陀か何かがあって、天井も高くて、ここは本当にいいところ。おまめの上下運動にもなりました。小窓からはちょうどおまめの目線で庭が見渡せて。外の猫たちとおしゃべりしていたような。。。

 ピアノが部屋の中に置けなかったのが、しいていえば、残念な点。大家さんが一階の一部屋をあけてくれて、そこに小さなピアノをねじ込みました。一度外に出て、それからピアノ部屋に入る、という仕組みになったので、ふと気が向いたときにピアノにつく、ということをしなくなりました。それはちょっと残念。弾く時間は、ずいぶん減ったな。

 しかし、全体的に、全くもって、すばらしい家!

 住みたい人ー???

そして
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# by mamemama_blog | 2011-06-10 13:19 | お引っ越し

男泣き

毎日食べる食事が、たまらなく美味だと、男泣きに泣く男。
カリッ、ぐすっ、カリッ、うるる。

おまめ。8歳。

どうじゃっ!
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# by mamemama_blog | 2011-06-06 21:15 |

変わるということ

 ずっとうまく行くと思っていたのに。

 このまま一緒に進んで行くと思っていたのに。


 というよーなじめじめがふと現れ、そして消え。またなんでもない顔で会いつつ、でもまたじめじめが顔を出してはじとっとする。そんな月日をずいぶんと過ごしました。

 しかし、じめじめくんは雨季とともに勢力を増し、もはや限界値に。ある日、じとっという感じではあるものの、小さな爆発を起こしたのでした。

 「もう、一緒にやるのはやめるわ」

 理由は説明がうまくつかない。でも、心にじめじめがあるというこの事実。どうにもこうにも。理由がどうであれ、続かないのは、続けられないのは、もう確実だもの。話し合う意味がどこにあるというだろう。

 と、自分に開き直りながら、でもずいぶん暗くなって。自己嫌悪かしらね。小さな旅に出ました。

 友だちと、川縁のバンガローでだらだらたらたら揺られながら、話す。川に浮かぶ小屋に泊まったん。

 変わるのも素晴らしいことだし、そのうえ、その変わることに素直に反応したことも、なんとも素晴らしい。

 という、友の言葉が、今週の第一位に輝いたと思う。

 わたしは、数ヶ月、お願いだからこれが幻であってくれ、気のせいであってくれ、と思いながら、もやもやじとじとしながら、一緒にやってきた。でも、そのもやじとから、どうしても目が離せなくなった。どうやら、幻でも気のせいでもなかった。


 変わったほうも変わって自然だったし、変わったことに反応したほうもそれが自然だったんだ。


 もう少しいい方法があったかどうか(爆発しないですんだかどうか)は、考える意味がない。もう、それは起こってしまった。もういいことにしよう。

= = =
 一年と少し続いた異国籍バンド。今日の晩を最後に、ギグをしばらくお休みします。彼らは彼らでやってほしいし、わたしもわたしでやっていく。無理に一緒に進むことはない。

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# by mamemama_blog | 2011-06-04 18:48 | 音楽つらつら

夏休みの予定表

 4月のソンクラン(タイ正月)にラオスに行って、はっちゃけたらカメラを壊してしまいました。ファンシーな電話を持っていないので、よって、デジタルなカメラは身の回りになくなった。。。

 あと1ヶ月とちょっとで学校が終わります。そのあとは約7週間の夏休み。昨年は、三線のコンクールに出たので、沖縄にしばらくおって、それから広島、東京と動いたっけ。今年はどうしよっかな、と。

 同僚の子と、アフリカで何かボランティアの活動に参加しようか、としばらく話していました。わたしたちは本気で、すっかりその気でした。でも、気が変わった、3月11日を境に。わたしは日本で何かしたい。

 でもしばらくはいろんな情報が錯綜していて、具体的な計画は立てられんかったん。医療技術も、馬鹿力も、何も、特にないわたし。ただ行って、そこで「渋滞」を作るのは嫌じゃった。

 でも、少しずつ見えてきた。

 今は、徳島の動物保護施設か、仙台のボランティア団体のお手伝いが候補です。どちらも、「動物」をキーワードに、心の何かがフックしたところ。

 沖縄に、先生にお稽古をつけていただきに、行く。それは決定。それから広島に帰る前に、どっか宮古か奄美か行きたいな、と思っとった。でも、今年はそんなことしとる場合じゃないかもしれんな。

 東京はどうしよっかな。友だちに会いたいし、また、例の研究室で追実験に参加したい(被験者として)。

 うーん。うーん。

 と考えとる間に、時は経っていくな。さて、決めんと。

 ひとまず、沖縄(本島)と広島は決定です。遊んでくださいね。
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# by mamemama_blog | 2011-05-25 00:44 |

Language Learning and Technology

 今年のはじめに、「論文を読みあさりたい」とこの場所でちかって、事実、少しずつギアを切り替えています。

 今日は、ひとまず、現実的に使えそうなところから。Language Learning and Technologyというオンラインの学術誌をたらたら見てみました。

 わたしが研究の畠に、親指の先っぽぐらいをのせたころ、もう教職の経験はあったわけで。そのころだって、「実際に教えるときに役立つ」をいつも念頭に置いていたのは、確かです。しかし、論文を読みあさるとき、そのアンテナにひっかかる基準は、自分の研究につながるかどうか、が基本でした。それから、選択していたコースのトピックにつながるようなもの、ということ。

 読んでからは、「あ、つまり、こうで、こうこうで、あー、こういうこと?」といろいろ教育の現場を想像するわけで。しかし、手に取る基準は、すでにずいぶん狭まっていたのかもしれない、と今になると思います。修士なんて、そういうものなのか?

 その点、すっかり現場のせんせーになっている現在。なんでも読んじゃいます!この地点に立ってしみじみ思うのは、あの、苦しい大学院時代に、論文の読み方をじっくり学んでいてよかった、ということ。どのように批判的に読まないといけないか、とことん学びました。鵜呑みにしてはいけないこと。研究の手段と、教授の手段は、切り離して考えないといけないということ。量的データの見方。質的データの見方。今になって、本当に、「あぁ、あのころのわたし、わたしに教えてくださった、あのせんせー、このせんせー、ほんまにありがとう!」と、拝みたくなります。

 つ・ま・り

 実際の教育現場からとったデータを元に述べている論文を読んだところで、「あー、そうすればいいのかっ。ぽんっ」とは、いかないのだな、わたしは。むしろ、あーしたほうがよかったんじゃないか。何か隠しているんじゃないか、と思ってしまう。

 果ては、自分がやってみたくなる。

 今の自分の環境からして、ここは、行くなら質しかなさそうです。量は、無理だな。

 しかし、こういう論文なんかを見つけると、ちょっとほっとしてしまう。 結果のところで、何も出なかったのを、期間が短かったと正直に述べ、そして、でも学習者は喜んでいたようだ、と結ぶ。むむむ。採用されたのだ!この論文は!

 今の学校は、学会参加や研究会年会費、雑誌の購読など、学術方面でのサポートは、活発でありません(というか聞いたことない)。このあたり、大学勤務と違うところね。でも、もしも自分の好奇心がむくむくとこのまま元気であるなら、自腹でも、突き進んでもいいのかもしれない、と思うのです。

 もっと、論文を読もう。
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# by mamemama_blog | 2011-04-25 23:43 | お仕事@Thailand